鷹の書
   諏訪藩に残る『鷹書(大)』翻刻と注解

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鷹の書
諏訪藩に残る『鷹書(大)』翻刻と注解
発行人 鷹書研究会 代表 中部大学国際関係学部教授 堀内 勝 


本書は江戸時代諏訪(高島)藩に残された蔵書の内、鷹狩りに関する写本の、大小二冊ある内の『鷹書(大)』を翻刻し、現代語訳と注解を加えて完成したものである。
この端緒については、「分冊(一)の解説」を参照されたい。

江戸期最大の高まりを見せ、幕府・各藩競ってその奥義を極めんとしていた「鷹狩文化」の絶頂期がどのようなものであったか、その一端を伝えている。本書は内容を大別すると三つに纏められよう。

@鷹自体にかかわること…鷹の各部位や翼羽の詳細な名称が扱われ、また鷹自体の生態が細かく記されるが、他方獲物となる他の動物の生態・習性までも扱われる点も興味を惹かれるところである。鷹を観察してのさまざまな整理の仕方(鷹十二顔、鷹十二目形など)、性格や体質など、そこには人間とも共通する観相術まで取り込んでいる。
A鷹と人間との係わり合い方…鷹を入手し、育て、調教し、実猟する各段階、大物捕りの訓育法、狩猟する獲物との対応、鷹道具の作り方と使用法など。
B
鷹匠に関すること…「鷹匠」の心得、獲物との対応、対人関係(主従、同僚など)、獲物の献上の仕方、鷹そのものの授受や献上の仕方、さらに鷹および鷹匠に死活問題となった
「鷹の傷病」および「その治療法」など。

最後の領域は、医学と民間医療、民俗学、民間信仰、俗信とが相俟って極めて特異な知識と経験が展開され、今日の我々にも参考になる点が多い。これら鍼灸法まで応用される治療法及びその材料は、予想だにつかない意外なものだが、手近に在って再考してみると納得させられるものも多い。生物学、生態学、民族動物学や民族植物学及び文化人類学視点から見ると、極めて斬新であり、観察眼が行き届いた深さのあるものであり、かつて保持していたそうした固有の領域が、本書によって現代に蘇ったと称しえる。本書を通じて「鷹」及び「狩」をキーワードとして展開される両者の特殊性と普遍性が浮き彫りにされている。鷹匠たちの知識と経験の積み重ねの底知れない深さ、パトロンが居なければ存在し得ない伝統文化要素、固有ないし特定文化要素が複合的な層を展開していたこと、それらを各藩や各流派が伝授したり、情報交換したり、また逆に競い合ったり、独自性を主張して微細な奥義・秘伝を残していることなどが明らかになっており、自然・動物・鳥・狩猟などに疎くなっている我々現代人に総計一〇九項の一項一項ごとに確認を迫っている。人間と動物、自然環境とがマッチしてこそ成り立つ、その良き実例を現代の我々に教えてくれているはずである。

江戸時代の終焉と共にあれほど盛んであった鷹狩文化も保護支援する者が無くなり、各藩で競っていた「鷹術」の伝統が消えて久しい。現代においては、細々とした個人的嗜好と熱情によって続けられてきた鷹狩りは、その鷹匠が流派を名乗るものの、他の流派とどこが如何に違うのか定かに出来ないのが現状である。

戦前まで宮内庁の鷹匠が数名存続したが、彼らとて同様であった。多くの現在の鷹匠たちは、この元宮内庁鷹匠に就き、その流れを汲む人々である。衰退一方の我が国の鷹狩文化も、しかし高度で微細な技芸は思わぬ方向から注目されている。現在も鷹狩りが認められている欧米やアラブ世界など外国からであり、生情報というより、我が国の精確で微細な、また優美で典雅な鷹絵・鷹狩絵の存在であり、文学・文献に頼らずに視覚を通してその高度な固有の鷹狩技術の存在を知らしめた。視覚から知識の領域に深まって、注目は今後も続くことであろうし、鷹狩文化の研究は国際的な視野を持って展開されていくことであろう。現代までにおける我が国の鷹狩りの研究は、もっぱら幕藩体制・支配統治の歴史的、制度的観点からのものであり、狩猟文化・生態学的観点で捉えた研究はまだ無い。その意味では本書は画期的な役割を演じて行くことになろう。

我々が翻刻、解読を進めてきた『鷹書(大)』は十一分冊にまとめることが出来た。この分け方は飽くまでも文量的目安であって、『学部紀要』に載せられる量ということになる。とはいえ、形式的にか、内容的にか、区切りの良いところを選んでおり、それぞれの分冊に厚薄のでこぼこが出てしまっている。内容に理解が追い付かない所、納得が行かない所、理解不能の所、こうした箇所が続出し、定例会で先の一行も進めなかったり、以前の疑問点ですべての時間を使い切ったりしてしまったことが何回あったことか。しかしながら、この分冊による厚薄のでこぼこの不統一は、一書となれば解消されるはずであるであるから、当初から心配はしていなかった。

翻刻し終わって通観するに、この手書き本は、先ず一書としてまとまったものではなく、何冊かの原書の合冊であることである。

分冊(三)からは末尾に.巻三終.、分冊(四)末に.巻四終.、分冊(五)末に.巻五終.とあり、それまでは項題を冒頭に記し、それから内容を述べるという体裁で一貫しており、ここまでは内容的にも重なる所は無い。このため分冊(五)までは一書と看做して良い。しかしながら分冊(三)の解説で記したように、これらは全体が荒井流の鷹術を伝えているものなのか、分冊(三)の「大物獲り」十一ヶ条のみがそうなのかの、今後の分析を待ちたい。

それにしても鷹術の奥義を窮めようとする熱意・執念は如何ばかりのものであったろうか、また如何程に江戸期の鷹術の高さと流行の維持があったことか、分冊(三)末の秘伝伝授者の述懐は、我々現代人に如実に伝えてくれている。「荒井豊前守に十ヵ年の間付いて廻り、いろいろ懇ろにお願い致すとは言え、終に伝えてもらうことが出来なかったので、その後二十年ばかり中絶したことになる。その後奥州会津に下り、豊前守の子孫である荒井籐七郎に逢い、いろいろ懇望の上、伝え継いだものである。この心得をうっかり忘れてしまってはいけないと思い、個人的な自分の心覚えのために、籐七郎相伝の口述人の話す通りに書き載せたものである。この一冊に関しては、どんな人が望んでも伝えてはならない。一段の秘事である」(三十五)。この文面でさらに明らかになったのは鷹匠に口述人が付いていることである。勿論すべての鷹匠についているわけでも、秘伝を保持している鷹匠すべてについているわけでもあるまい。鷹匠の中でも、流派・秘伝に通じ、鷹術・鷹書の多くを伝統保持し、しかも身分が高位の者に限定されるであろうが。

分冊(六)はそれまであった項題が見当たらず、内容は以前には無かった鷹の傷病と治療法を扱っている。体裁を変えた形の続きとして分冊(五)までのものの延長として.巻六.とするか、全く別の小冊をここに持って来て書写したかである。恐らく後者であろう。分冊(七)は「灌頂巻」と項題があり、分冊(六)で触れた鷹の傷病と治療法のうち、主として「鷹の治療薬」を扱っている。他の『鷹書』類の多くも、鷹の傷病と治療法は最後に記されるものである。そこには、鷹を扱う者の知識と経験、先人からの伝授されたもの、秘伝として大事に守られて来たもの、の総体が〈愛鷹〉に向けられる奥義的な面も見られるからである。この鷹の傷病と治療法を『鷹書』の最後に配する体裁はアラブ古典の『鷹書』類も同じである。したがって可能性としてここまでを一書として看做せないこともない。

分冊(八)は鷹の外見から性質、体質、猟欲などを判断する観相術であり、鷹狩用語では「鷹目利き」、ないし「鷹見立て」についてである。とくに有名な「鷹十二顔」も扱われる。分冊(九)は同じ観相術ではあるが、目の虹彩(白目)の中に現れる星についての驚くべき分析、「鷹十二目形」についてである。この分冊のみ冒頭に「宇都宮流口伝」と明記されており、「鷹十二目形」に続けて当流の「鷹目形」として、七種が記される。当流とあるからには宇都宮流とも異なるわけであり、それが諏訪藩、諏訪流なのか定かにはしてくれていない。結末の部分に「享保十一年丙午正月 菅沼定之 巻之五終」と記されており、幾らかの考証の手掛りを残してくれている。享保十一年は西暦一七二七年に当たる。
菅沼定之は筆写した者の名前であるが、諏訪藩所属の者か、彼自身鷹匠であったのかは定かではない。また「巻之五終」とある通り、何巻かある中の一巻を書き写したものであること、さらに分冊(五)の末尾に.巻五終.とあったことから、この分冊部分は全く独立した形で合冊に加えられたものと判明した。しかし合冊したものとはいえ、内容がそれまでとは重複しては折らず、独立して扱われており、『鷹書』の奥行きを広め、盛り上がりを見せている部分といえよう。

分冊(十)は、鷹の傷病と治療法を除けばおおよそ鷹術の記述がなされている、要領の良い簡便な鷹書の小冊といった趣。最後の分冊(十一)は残りすべてを扱った関係上分厚なものになってしまった。ここでの特徴は前半の鷹の扱い方を述べた後、鷹の羽毛の名称一覧である。翼、羽、羽毛の、これら多彩な、そして微細な名称類はうんざりするぐらい多い。とても個人が記憶する許容量を超えている。薀蓄の限りを尽くすもので、一芸への拘泥 と知識・経験の書承されたものの一端が奈辺かを示している。分冊(十一)の末尾に奥書があり、「盛徳君が書写させておかれた本である。原本は一橋家に仕えた鷹匠である松崎利八から借用になったものであるという」。この.本.とは分冊(十一)のことか、全冊のことを言っているのか判明しない。後者の方が確率が高い。一橋家が特定の鷹術の流派を採っていたのか、また松崎利八なる鷹匠が何流であったのか、また諏訪藩とはどのような関係にあったのか、今となっては杳として分らない。せめて「盛徳君」のことなりとも、手懸かりはないか、諏訪藩との関連はあるのか探っているが未だ判明しない。またこの文面から書写した人物についても、本人は鷹匠なのかどうか、鷹狩りについて詳しくは無い人物ではなかったか、しかし書写のプロとしては字体・筆跡が上手ともいえない面もある、と種々疑問を投げかけることも多い。
なおより詳しい解説は各分冊の冒頭に記しておいたので参照されたい。

幕末以降「鷹狩文化」の断絶は、内容を把握するのに如何ともしがたく、従ってその翻刻作業の作成には、現在の鷹匠自身のその知識と経験、及び鷹、猛禽類、鳥類、動物全般の生物学、生態学に関する知見を最大限活用した。また鷹狩りの他の古書類の活用、及び他文化圏の「鷹狩文化」諸知識の流用・応用を活かして、出来るだけ筋の通る文脈に仕上げた。といっても現代では余りに疎遠となってしまったために、皆目見当もつかない項目や内容になってしまった危惧がある。本書を踏み台にして、誤記や解釈の違いなど今後の「鷹書」の研究に繋げて欲しいものである。

箕浦氏について一言しておきたい。氏の存在及び協力なくしては本書の作業も成立しなかった。氏は、今では日本を代表する鷹匠になられている。彼の主催する「日本鷹狩文化保存会」は、彼の兄弟子志賀真一氏とともにオオタカを中心に古流の再現と現代の鷹術のあるべき理想を目指して、十名余りの有志とともに年二回のイグジビジョンと会合を開き、鷹道の研鑽に励んでいる。その活動の一端として市町村の企画展や祭礼にも参加して「鷹狩文化」の広報と普及活動に勤めている団体であり、堀内も顧問を務めている。またこの保存会の若き会員田原尚舞君によって本書の索引が作られたことも述べておかなければならない。

各分冊の解説においては、中東文化専門の堀内が、アラブ・イスラム世界との鷹狩文化との比較及び関連について、可能な限り言及している。がしかし、この奥深さ・微細さは日本に比肩できるものではない。


目  次
(カッコ)内の項番号及び項題は冒頭(目次)一覧には記載されているにも関わらず、本文が欠落していることを表す。

諏訪藩に残る『鷹書(大)』の概説

『鷹書(大)』(一)
分冊(一)の解説 ― 付、「河西氏所蔵鷹書目録」―
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
鷹の本地、荒鷹仕立様のこと、( 生物飼い様のこと)、( 捉気なき鷹取飼いのこと)、( 荒鷹取飼い様のこと)、鷹置き取り様のこと、鷹に悪曲と言うこと、鳥屋鷹仕立て様のこと、大物仕掛け様のこと、真鴨に移し様のこと、生物功入りたる鷹のこと、鷹応答様のこと、鷂当て餌のこと、仕つひ鷹休め様のこと、鷂挙目付け様のこと、見物人有る時羽合わせ様のこと、(鷹目形古流当流見様のこと)

補注
付記「アラブ世界の鷹狩り関係年表」

『鷹書(大)』(二)
分冊(二)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
片鳥屋諸鳥屋の鷹 鶴雁取飼い様のこと、古鳥屋の鷹 鶴雁取飼い様の 肉当て仕掛け様口伝のこと、鶴雁に初めて取飼いたる鷹 後まで逸物仕い取飼い様口伝のこと、病気なる鷹に鶴雁取飼い肉当て口伝のこと

付記「アラブ世界、中世の鷹狩りの詩『眼光鋭きセーカー達』」


『鷹書(大)』(三)
分冊(三)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
鶴雁鷹の肉合い出来しほ見立て様口伝のこと、鶴雁に懲りたる鷹捉せ様口伝覚書のこと、右三ヶ条を以って捉ざる時 又取らせ様の口伝のこと、(鷹の気色を見て相しらい仕掛け様のこと)

補記欠丁、第24項後半及び第25項冒頭部
付記「アラブの鷹狩り人物伝」


『鷹書(大)』(四)
分冊(四)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
落合取り仕りたる鷹の相しらい仕掛け様のこと、喰せぬ丸嘴の飼い様秘事口伝のこと、
k不断雁ばかり取飼い申したる鷹に鶴取飼い様口伝のこと、初めて大物取飼いたる鷹あやまちを仕るか 又は押し際にて何とか心に掛かる時 取飼い様口伝のこと、逸物の鷹 肉当ても仕らず 成り次第に遣い候こと、鶴雁一肉に五、六羽合せて肉もひけ草臥たる鷹 最早此の取飼いで肉上げるべきと思う時の取飼い肉上げ様餌飼いの口伝のこと

付記「アラブ放鷹史4」

『鷹書(大)』(五)
分冊(五)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
鷹なつけ様のこと、鳥屋出しの鷹相しらい取飼い様心得口伝のこと、鷹に経緒を指す口伝のこと、定規切っ懸けのこと、雁鷹に鈴を差すと言うこと、鷹に口餌を飼う口伝のこと、鷹の肉当たりたる見立て様のこと、鷹拳に据え渡す


『鷹書(大)』(六)

分冊(六)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
( 鷹の病と薬の与え方)


『鷹書(大)』(七)
分冊(七)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳

灌頂の巻(傷病と治療法)


『鷹書(大)』(八)

分冊(八)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
当流の餌の作り様、鷹の生まれ様兄弟のこと、陰の鷹見分け様のこと、陽の鷹見分け様口伝のこと、長半の鷹見分け様のこと、鷹十二顔の覚え、大鷲顔の見様、小鷲顔の見立て様のこと、鷹顔の見立て様のこと、真顔の見様のこと、猿子顔の鷹見様のこと、鳶の鷹見様のこと、雄鶏顔の鷹見様のこと、蛇顔の鷹見様のこと、鶚顔の鷹見様のこと、カケス顔の鷹見様のこと、烏顔の鷹見様のこと、ツミ顔の鷹見様のこと、当流鷹の目利き見立て十二顔の外、蝮顔の鷹有り、見分け様、雌鳥顔の鷹見分け様のこと、ヒヨドリ顔の鷹見様のこと、三段身折りの鷹有り、熊脛の鷹有り、子猿喰いの鷹有り、半児の鷹有り、能き鷹の見立て様のこと

『鷹書(大)』(九)
分冊(九)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
宇津宮大明神の流れ、新蔵人鷹目形秘事口伝のこと、当流秘事口伝の目形のこと
付記
本書「宇津宮大明神之流新藏人鷹目形秘事口伝之事」の位置
「異本1(同系本)」・「異本2(『宇津宮流鷹之書 巻五』「鷹眼中見様之事」)」を対照して


『鷹書(大)』(十)
分冊(十)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
鷹について 目次、鷹の相形のこと、白鷹のこと、鷹の命短きこと、同じく命長きこと、鷹の符のこと、鷹装束のこと、 狩装束のこと、鷹仕ふこと、鷹に餌飼うこと、鷹を据え置くこと、同じく尋常に仕ふこと、同じく水吹くこと、鷹架のこと、鷹を渡すこと・鷹請け取ること、同じく鳥屋込めのこと、同じく鳥屋出しのこと、犬仕ふこと

『鷹書(大)』(十一)
分冊(十一)の解説
翻刻(本文) 訳注 現代語訳
失せたる鷹、鷹伏せのやり方、鷹の年齢の言い方など、用具・餌袋について、鷹を架に繋ぐこと、口餌のこと、鷹に鳥を餌飼いするには、鷹に良き相二つ有り、盗み喰いしてしまう鷹に対しては、鷹が疲れ獲物を追うのを止めてしまうのに対しては、飛羽の名称その他、やまがえりを七日以内に羽合せするやり方、鷹羽毛名所右より、鷹羽毛名所左より、尾羽名所右より、尾羽名所左より、羽の上部右より、鈴付けの上の毛、灸所の図、鷹道具の図、足革の図、奥書

索引

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